Just Another Honky - 車椅子のロニー・レーンの思い出とフェイセズの再結成によせて




「フェイセズ、ロッド・スチュワートなしで再結成」という音楽ニュースに、思わず反応してしまいました。

http://www.barks.jp/news/?id=1000061465


フェイセズは、ぼくが17歳のころ世界で2番目に大好きだったバンド。

誤解があるといけないので急いで付け加えておくと、ぼくが17歳のころにはとっくに解散していて、当時国内盤ではもう廃盤となっていたアルバムを輸入盤で買い求めては、ラフでルーズなようで時にたまらなく繊細な表情のアンサンブルを聴かせてくれるそのグルーブ感に、すっかり夢中になってしまっていたのです。



You Tube - The Faces / Stay With Me



そういえば以前、浅川マキの歌について触れたときに「フェイセズのソウルフルな英国の抒情性を愛していた高校生の頃」云々と書きましたが、ぼくが彼女の歌のすばらしさに気づいたのは寺山修司周辺のアングラ歌手としてでも、山下洋輔関連のジャズ・シンガーとしてでもなく、多感な年頃に聴いていたフェイセズやロッド・スチュワートの楽曲の日本的な解釈を通してでした。


それはスポットライトではない - 浅川マキを悼んで
https://timeandlove.seesaa.net/article/201001article_5.html


「それはスポットライトではない」というバリー・ゴールドバーグとジェリー・ゴフィンによる楽曲を浅川マキはボビー・ブランドのバージョンからカバーしていて、ほぼ同じ時期にロッド・スチュワートが大ヒット・アルバム「アトランティック・クロッシング」で取り上げたのはまったくの偶然だったそうです。

けれどそんなところにも単なる一方的な影響とかではなく、音楽的に通じ合うものがあったことを感じずにはいられません。

初期の「ガソリン・アレイ」などはまだ向こうの楽曲の翻案、という感じがありますが、「それはスポットライトではない」と同じくアルバム「灯ともし頃」に収められた「ジャスト・アナザー・ホンキー」などは、浅川マキの日本語詩バージョンを聴いて、あらためてこの歌にこめられたやるせない抒情性を思い知らされてしまったものでした。


ウー・ラ・ラ(紙ジャケット)


陽気なようでどこかもの哀しいこの抒情性にみちあふれた曲を作ったのは、ベーシストのロニー・レーン。

スモール・フェイセズではスティーブ・マリオット、そしてフェイセズではロッド・スチュワートの影にあって、一見地味だけれど実にいい仕事をしているロニー・レーンの存在が気になってくるころには、もうすっかりその音楽のとりこになってしまっていたのです。


なかでも、「馬の耳に念仏」という邦題がつけられたセカンド・アルバム"A Nod is As Good As a Wink to a Blind Horse"に収められたロニーが歌う3曲、とりわけ"Debris"という曲が大好きでした。



You Tube - Ronnie Lane and Slim Chance / Debris



馬の耳に念仏(紙ジャケットCD)


フェイセズは17歳のころ世界で2番目に大好きだったバンド、と書きましたが、1番はもちろんローリング・ストーンズで、ぼくがフェイセズの音楽に夢中になったころ、ロン・ウッドはすっかりストーンズのギタリストに収まってしまっていたし、ロッドはソロ・アーティストとして大成功、ブロンドがお好きなスーパースターになってしまっていました。

もし何かの拍子にフェイセズの再結成などがあったとしても、難病に冒されてしまったというロニー・レーンの姿がなかったら寂しすぎるな、などと思っていたのです。

それで、1990年にロニー・レーンがまさかの来日公演が実現したときには驚いて、絶対に見逃すものかと思って川崎のクラブ・チッタへ駆けつけました。

ステージの上でも車椅子に乗ったまま、キーボードにイアン・マクレガンを配したバンドを従えて、ロニー・レーンはほんとうにすばらしい音楽を聴かせてくれました。

そのときのことを思うと、いまでも胸が熱くなるような気がするのです。


ロング・プレイヤー(紙ジャケットCD)


スモール・フェイセズ、第一期ジェフ・ベック・グループ、ロニー・レーンに代わってフェイセズに加入した山内テツが在籍していたフリー、ケニー・ジョーンズがキース・ムーン亡きあとに参加したフー、ロニー・レーンのスリム・チャンス、そしてローリング・ストーンズ。

さまざまなブリティッシュ・ロックの人脈が交差するファミリー・ツリーの狭間にできあがったようなバンド、それがフェイセズというグループでした。

そう思うと2010年、ボーカルにシンプリー・レッドのミック・ハックネルを、ベースにはかのセックス・ピストルズをクビになったというグレン・マトロックを迎えた再結成フェイセズというものがあっても、それはそれでいいのかもしれない。

「ジャスト・アナザー・ホンキー」の歌詞ではないけれど、そうしたいなら好きにやってみればいい。かつてのフェイセズとはまた違ったソウルフルな英国の抒情が聴くことだってできるのかもしれません。

けれどとりあえずいまのぼくには、闘病の末1997年6月4日に惜しくも永眠してしまったロニー・レインの存在が1960~1970年代の英国音楽の中で果たした役割と、20年前の奇跡の来日でその片鱗に触れることができた幸福が偲ばれるばかりなのです。








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