2005年2月には、地球温暖化を防ぐべく温室効果ガス削減を定めた京都議定書が発効しました。
京都議定書の概要
京都議定書ってなんだろう?
このニュースはいまだ様々な問題が山積していることも含めて各メディアで大きくとりあげられたものの、ぼくの関心を引いたのは産経新聞がとりあげた「CO2吸収蓄積量 鎮守の森は3倍 都内で調査」という小さな記事でした。
産経新聞より
小さなネタでもあり、それほど話題になった様子もないけれど、それによると東京都内の各地の神社の森を国學院大学の学生らが調査した結果、杉の植林などが進んだ一般的な森林より3倍以上も二酸化炭素を吸収蓄積していることが分かったとのこと。
「調査・分析にかかわった神社本庁教学課の葦津敬之課長は『日本人は古来、自然の中に神をみていた。二酸化炭素の排出削減は技術的な側面が強調されるが、精神的基盤としても森を守ることは大切』と話している。」とのコメントも。
話題の京都議定書そのものが地球の二酸化炭素の4分の1を放出しているという肝心のアメリカ合衆国の批准を得られず有効性が問われているというのに、二酸化炭素を3倍蓄積しようと10倍吸収しようと、日本国すべての鎮守の森がタバになってもいかほどの抗力があるものか?地球の平均気温が0.001℃でも下がるのか?
…などというふうに考えてしまっては、地道な努力を続ける神職にたずさわる方々のいじらしいくらいささやかな調査にはなんとも複雑な情がわいてしまうけれど、ぼくがこんな記事に心動かされてしまったのは必ずしも神道へのシンパシーからだけではなくて、「森を守ろう」とこころざした二つのムーヴメントのことを思い浮かべてしまったからだったのです。
そのムーヴメントのまずひとつめは、今回取り上げるレコード、キンクスの1968年のアルバム「ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ
どこかでこのレコードについて「最も強力で、最も売れなかった名盤」と評されているのを見た記憶がありますが、さもありなん、という作品です。
いうまでもなく1968年といえば激動の60年代も沸点に達しようとしていた熱い季節、ポップ・ミュージック・シーンを見渡しても数えきれないくらいの革命的な名盤が続々リリースされていたそんな頃。
なのにこのキンクスのアルバムときたら、そのタイトルが
「村の緑を守る会」
という、なんとものどかなものでした。
内容もそのまま、思わず脱力してしまいそうなほのぼのアコースティック・サウンドにのせて歌われるのが、
「ぼくらは村の緑を守る会。
神さま、イチゴのジャムを守りたまえ。
昔からのやり方を守るんだ。
ぼくらは訛った英語で話すシャーロック・ホームズ」
というものだったのです。
いや、好きだけど、聴けば聴くほど大好きになってしまうのだけれど、かの「ユー・リアリー・ガット・ミー」の脳天逆落しギター・リフで世界を震撼させたキンクスが、初めてレイ・デイヴィス自らのプロデュースで1968年に発売したアルバムが、これ?
これがもっとハードな作品やプログレッシヴな作品だったなら、キンクスはロック・ミュージック史上どれだけ重要視される存在になったことか。
コンセプト・アルバムではあるようだけれど、翌69年のロック・オペラ「トミー」で最高の完成度にのぼりつめたザ・フーのそれともだいぶ趣きがちがう。
土着的な世界を指向するにしても、ザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」やローリング・ストーンズの「ベガーズ・バンケット」のようなヘヴィさが、まるで見当たらない。
あえていえば「ホワイト・アルバム」の一部にちょっと近い感触があるような気がするけれど、ビートルズとくらべてしまっては正直B級な感じが否めない。
ようするにどうにも牧歌的すぎて、大上段に振りかぶって「1968年の名盤!」というにはあまりにも、あんまりにもノンキなんじゃないだろうか?ずっとそんなふうに思ってきたのでした。
でも、好きなんだけれど…。
もうひとつの「村の緑を守る」ムーヴメントは、紀州田辺の学者・南方熊楠の叛神社合祀闘争のこと。
南方熊楠といえば、かの柳田國男をして「日本人の可能性の極限かとも思ひ、又時としては更にそれよりもなほ一つ向ふかと思ふことさへある」とまで言わしめた近代日本アカデミズム不世出の巨人であることはあまりにも有名。
その柳田との邂逅こそ、明治39年一町村一社を標準と定めた神社合祀令に対し、豊かな自然と歴史の宝庫である神社の杜の伐採を憂い、鎮守の森の緑を守るべく立ち上がった反対運動における共闘だったということです。
それはなかば世捨て人めいた学問ひとすじの熊楠の生涯のなかで、その学識と精力のすべてを傾けた、そして唯一の実践運動であったと言われ、きわめて熾烈なものであったようなのです。
けれど毎晩「定本柳田國男集」を枕頭の書としていたぼくにとって、実は熊楠の著作はそれほど親しみのあるものではありませんでした。
一時はまるで恋文のような書簡を交わし、互いにこのうえなく尊敬しあった仲間でありながらも何故か訣別してしまった柳田國男との関係から、あえて熊楠のほうを持ち上げるような風潮もなんとなく嫌らしい。
そんな懸念もあってか名高い「十二支考
けれどこの熊楠という人は人物がとにかくおもしろい。
あまりにもおもしろすぎてその著作よりも伝記の類いのほうを熟読してしまう、そんな人物なのですが、ふと気付くとこの人の奇人ぶりは、なんとなくキンクスっぽい感じがする。
もともと「KINK」というのは「ひねまがった」「ねじれた」というような状態をさす言葉。そこから偏屈な変わり者、ヘンなやつという意味が派生したということで、キンクスはまさにそんな名前どおりにちょっとシニカルな皮肉にみちた世界を体現してきたグループでした。
一方、南方熊楠の数ある逸話をながめてみると、たとえば世界的な業績をあげた粘菌研究が生物学者でもあった昭和天皇のお目にとまり御進講の儀が取り計らわれた際、ひどく感激した熊楠みずから用意した天覧に供する粘菌の入れ物が桐の箱などではなくキャラメルの箱であって、それに陛下もいたくお喜びになられたと言うあたり、ぼくの大好きなエピソードなのですが、なんとなく「KINK」だなあ、という感じがします。
また、東京帝大へと続くエリート・コースである予備門からドロップアウトして渡米、曲馬団の助手となって中南米を放浪、ロンドンへ渡って科学雑誌「ネイチュア」に寄稿、大英博物館の嘱託職員に迎えられたという世界をまたにかけた活躍。けれど本人がよく談じていたというキューバ革命市街戦への参加だの窮地に陥った中国革命の父・孫文を救っただのいう話はどうやらホラであったらしいというあたり、これまたなんとなくキンクスの「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡
さて、もともと一介のロック少年だったはずのぼくがいつのまにか柳田國男を読み熊楠に興味を持ち固有神道を模索しナショナリズムとパトリオティズムを思うようになって、いまさらながら今日この頃、大好きだったキンクスの「ヴィレッジ・グリーン」のほんとうの価値が少しわかってきたような気がします。
「神社合祀は愛国心を損ずることおびただし。愛郷心は愛国心の基なり、とドイツの詩聖は言えり。」
(「神社合祀に関する意見」南方熊楠)
「祖国とは私たちが子供のころ夕暮れまで遊びほうけた路地のことであり、石油ランプの光に柔らかに照らし出された食卓のほとりのことであり、植民地渡来の品物を商っていたお隣りのショーウインドウのことである。」
(ドイツの政治学者、ロベルト・ミヘルス
「民主主義、民主主義と言うが、生きている人だけが票で決めるのである。 これは仕方ないかもしれないが、我々は、我々の先祖という死者を抱えている。 死者の意見もやはり聞かなくてはならない」
(イギリスの作家、G・K・チェスタートン
T.S.エリオット
キンクスが歌った「村の緑」も、それに「ピクチャー・ブック」やら「最後の蒸気機関車」も、またこうして数え上げられるべき「祖国」の一要素となるかけがえのない文化のことだったのにちがいありません。
愛郷心、愛国心、たとえばぼくらがそのためになら身を捨ててしまえるような。
1968年のレイ・デイヴィスはどうやらひねくれていたわけでもなんでもなく、大真面目にあの牧歌的なアルバムで、心から哀愁をこめて「アイ・ミス・ヴィレッジ・グリーン」と歌っていたのでした。
それはこの時期のおびただしいアウト・テイクの数々やのちに「プリザヴェイション・アクト1&2」という大作小屋掛け芝居風ロック・オペラに発展した尋常ならざる創作意欲からも疑いありません。
そしてぼくはまたあらためて、この愛すべきレコードに針を落としてみようと思うのです。
ぼくらが生きているのは、たとえば、地球大の環境問題の前には吹けば飛ぶようなものでしかない、いじらしいくらいささやかな村の緑を守るためだったのかもしれないのですから。
■「神社合祀に関する意見」南方熊楠
■the Kinks Web Site
●今回の文は、2005年にあるレコード屋さんの依頼で綴ったものです。
●南方熊楠の生涯については「縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫)
●最近レイ自身によって監修されたキンクスの6枚組のCDボックス
ぼくは彼らの来日公演を2回観ていますが、とてもステキなライヴだったので、昨2008年噂が出たものの立ち消えになってしまっているオリジナル・メンバーでの再結成を、これからも気長に待ちたいと思います。